打って反省(24〜39回目) [剣道]
ここ1か月間は、子供たちとの稽古も含めて面を着ける機会に恵まれました。
また、福岡の先生による子供の指導を見たり、昇級審査のお手伝いもしたのですが、子供たちの姿で特に目を引かれたのは「打突力」と「手の内」。肩を柔らかく使って手の内を絞って打ち込む姿に無駄はありません。
躊躇なく、島の子供たちにも伝えましたが、子供の吸収力はやはり素晴らしいですね。打突が見違えるようになった子もいて正直びっくりしています。
私自身の稽古では、島で基本稽古の時間が多くとれたことがありがたかったです。
ただ、互角稽古で、比較的大きく振りかぶって右に流れる先生の面が割れずに、たまらず右面に飛んでしまったこと。綺麗な有効打突にはなりましたが、自分の打突を崩してまでして当てたいのか?とちょっと凹みました。
「打って反省、打たれて感謝」は続きます。
また、福岡の先生による子供の指導を見たり、昇級審査のお手伝いもしたのですが、子供たちの姿で特に目を引かれたのは「打突力」と「手の内」。肩を柔らかく使って手の内を絞って打ち込む姿に無駄はありません。
躊躇なく、島の子供たちにも伝えましたが、子供の吸収力はやはり素晴らしいですね。打突が見違えるようになった子もいて正直びっくりしています。
私自身の稽古では、島で基本稽古の時間が多くとれたことがありがたかったです。
ただ、互角稽古で、比較的大きく振りかぶって右に流れる先生の面が割れずに、たまらず右面に飛んでしまったこと。綺麗な有効打突にはなりましたが、自分の打突を崩してまでして当てたいのか?とちょっと凹みました。
「打って反省、打たれて感謝」は続きます。
無言のメッセージ(14〜23回目) [剣道]
4月中旬より福岡や島では計画的に稽古が積める環境となりました。また、GWは帰省して東京でも稽古、久しぶりとなる1時間の基本稽古では、左足の引き付けを集中的に矯正しました。
剣道以外では、ちょっとしたモヤモヤ、憤りを感じることがありました。
自分の物差しに照らすと「ありえない」「なんで?」と思いながらも、少々羨ましく感じてしまう。
でも、こんな感情も冷静に考えると、相手がどうこうではなく、自分自身の心構え、内面に問題が隠れているのですよね。
帰省中にダンスサークルのコーチをしている娘のひたむきな取組を間近で見た。
「人のことを羨ましく感じる、妬む暇があれば、汗と涙を流せ、自分自身を磨け」と言われているような気がした。
剣道と同じかもしれませんね。
こう思うようになってから、心に余裕が生まれました。
少しづつでも、できるところから、徳を積んでいきたいと思います。
娘よ、ありがとう!
剣道以外では、ちょっとしたモヤモヤ、憤りを感じることがありました。
自分の物差しに照らすと「ありえない」「なんで?」と思いながらも、少々羨ましく感じてしまう。
でも、こんな感情も冷静に考えると、相手がどうこうではなく、自分自身の心構え、内面に問題が隠れているのですよね。
帰省中にダンスサークルのコーチをしている娘のひたむきな取組を間近で見た。
「人のことを羨ましく感じる、妬む暇があれば、汗と涙を流せ、自分自身を磨け」と言われているような気がした。
剣道と同じかもしれませんね。
こう思うようになってから、心に余裕が生まれました。
少しづつでも、できるところから、徳を積んでいきたいと思います。
娘よ、ありがとう!
自分の内面(10〜13回目) [剣道]
3月中旬以降、島の稽古は再び自粛。福岡における週1回の稽古は、土日に仕事が入り2週間おきになってしまいました。
「4月の武道祭はぶっつけ本番だなあ」と思っていましたが、大会そのものがコロナの影響で中止となってしまい、残念な気持ちと正直ホッとした気持ちが交錯しました。
4月中旬より島の稽古も再開。蒸し暑さの中、水曜日に稽古して土曜日の福岡の稽古へ。前回の稽古から日が経っておらず、体は軽く「今日はいつもより粘れそうだ」と感じました。
切り返しを受けていただき、指導稽古へ。先をとること、相手を遣うこと、決して受けずに下がらないこと、左拳をしっかり上げて打突すること、縁を切らないこと、そして掛かる意識を保ち続けることを大切に
八段先生の先の取り方、足の捌き方は容赦ありません。いつもと同じで粘りきれず、終わった後は、足腰がガクガクで息が上がります。苦しいし悔しい、後半打ち急いでしまったり、足捌きがよろついたりで毎度毎度の虚無感に襲われます。
その後の七段先生との互角稽古。テーマに気をつけながら稽古しますが、どちらかと言えば無意識に近く、こちらは「打って反省、打たれて感謝」嬉しい、楽しい稽古
「自分自身の感情や体へのダメージは、相手がどうこうではなく、自分の内面により創り出されるもの」と改めて感じた稽古となりました。
「4月の武道祭はぶっつけ本番だなあ」と思っていましたが、大会そのものがコロナの影響で中止となってしまい、残念な気持ちと正直ホッとした気持ちが交錯しました。
4月中旬より島の稽古も再開。蒸し暑さの中、水曜日に稽古して土曜日の福岡の稽古へ。前回の稽古から日が経っておらず、体は軽く「今日はいつもより粘れそうだ」と感じました。
切り返しを受けていただき、指導稽古へ。先をとること、相手を遣うこと、決して受けずに下がらないこと、左拳をしっかり上げて打突すること、縁を切らないこと、そして掛かる意識を保ち続けることを大切に
八段先生の先の取り方、足の捌き方は容赦ありません。いつもと同じで粘りきれず、終わった後は、足腰がガクガクで息が上がります。苦しいし悔しい、後半打ち急いでしまったり、足捌きがよろついたりで毎度毎度の虚無感に襲われます。
その後の七段先生との互角稽古。テーマに気をつけながら稽古しますが、どちらかと言えば無意識に近く、こちらは「打って反省、打たれて感謝」嬉しい、楽しい稽古
「自分自身の感情や体へのダメージは、相手がどうこうではなく、自分の内面により創り出されるもの」と改めて感じた稽古となりました。
けんどうめんめん(6〜9回目) [剣道]
まん延防止等重点措置が解除され、島でも、福岡でも稽古が再開となりましたが、再開されても立会いは思いどおりにいかず、辛く、そして苦しい。
「これを見てやってください!」と島の先生から新聞記事が手渡されました。
そこには稽古に参加している小学2年生の詩が地元紙に掲載されていました。
「けんどう めんめん」から始まり、嬉しくて、痛くて、楽しい、そして頑張るといった内容
ピュアな表現に心が打たれるとともに、自分がなくしつつあるものを逆に教えてくれました。
自分自身も素直に「嬉しい」「楽しい」と感じたいし、教える子供たちや剣友にも感じさせたい。
技倆ばかりではなく荒んだ気持ちを立て直す必要がありますね汗
「これを見てやってください!」と島の先生から新聞記事が手渡されました。
そこには稽古に参加している小学2年生の詩が地元紙に掲載されていました。
「けんどう めんめん」から始まり、嬉しくて、痛くて、楽しい、そして頑張るといった内容
ピュアな表現に心が打たれるとともに、自分がなくしつつあるものを逆に教えてくれました。
自分自身も素直に「嬉しい」「楽しい」と感じたいし、教える子供たちや剣友にも感じさせたい。
技倆ばかりではなく荒んだ気持ちを立て直す必要がありますね汗
出張先にて(2〜5回目) [剣道]
平日は離島に出張していますので、先入観から稽古は半分諦めていましたが、ご縁がつながり、年が明けてから、夜の時間帯で子供たちと大人同士の稽古に参加できることになりました。
子供たちを教えるのは10年ぶり位、自身のぎこちなさを自覚しますが、10名の子供たちの瞳の輝きに心が洗われ、助けられています。
「少しでも子供たちのため、地域のお役に立てるのであれば」と力んでいましたが、オミクロン株は流行し、出張先でも、福岡でも、2月下旬までは稽古自粛となりました。
「半年前から出張で来ていたのだったら、なんで早く顔を出さなかったの?」と言っていただける環境は大変ありがたく、1日も早くコロナが収束し、再び子供たちと道場に立てる日を願う毎日です。
子供たちを教えるのは10年ぶり位、自身のぎこちなさを自覚しますが、10名の子供たちの瞳の輝きに心が洗われ、助けられています。
「少しでも子供たちのため、地域のお役に立てるのであれば」と力んでいましたが、オミクロン株は流行し、出張先でも、福岡でも、2月下旬までは稽古自粛となりました。
「半年前から出張で来ていたのだったら、なんで早く顔を出さなかったの?」と言っていただける環境は大変ありがたく、1日も早くコロナが収束し、再び子供たちと道場に立てる日を願う毎日です。
竹刀(1回目) [剣道]
年明け、出張先を経由して連休前に福岡に戻り、土曜日に怪我もせず、無事に稽古始めを終えました。
年末年始に家族と過ごし充電できたのでしょう、身体も軽く上席の先生方に気も上げてもらい充実した内容となりました。
祝日は、年末に割れてしまった竹刀を求めて近所の剣道具屋さんへ。若い時は「何を使っても一緒」と廉価な普及型を愛用していましたが、ここ10年は古刀型を使用しています。利き腕である右手でこねる打ち方が癖になっているので、柄が短く左手にずしっとくるタイプを意識的に選んでいます。
12月のとある稽古会。先生が擦り上げ技と撃ち落とし技を実演され、鎬を使って美しく玄妙な技を打ち出していました。
先生に指名され私がデモしましたが、うまくいきません。フランクな雰囲気がこの稽古会の良さ、失敗を続ける私を見て剣友は「彼は古刀型、先生は胴張り型を使っているからなのでは?」と発言しました。
先生は苦笑いしながら、いかに相手の剣を引きつけて鎬を使うことが大切であることを説かれていました。私はというと、竹刀の型をちゃんと見ている人がいるんだなあと感心しつつ、久しぶりに胴張り型を持ってみたい欲求が生まれました。
「先入観は悪」今日は古刀型、胴張り型、実践型?、普及型を等しく、長い時間握りました。
ただ、胴張り型…何度持っても右手のコネ打ちしかイメージできなくて断念、結果的にこれまでの古刀型に落ちつきました。また、古刀型は関東型とも言われているので、数も少ない印象を受けました。気のせいかな?
新型コロナ感染拡大が再び広がってきたことは心配ですが、竹刀も新調したので、また今年も僅かな機会を大切にしながら稽古に励みたいと思います。
年末年始に家族と過ごし充電できたのでしょう、身体も軽く上席の先生方に気も上げてもらい充実した内容となりました。
祝日は、年末に割れてしまった竹刀を求めて近所の剣道具屋さんへ。若い時は「何を使っても一緒」と廉価な普及型を愛用していましたが、ここ10年は古刀型を使用しています。利き腕である右手でこねる打ち方が癖になっているので、柄が短く左手にずしっとくるタイプを意識的に選んでいます。
12月のとある稽古会。先生が擦り上げ技と撃ち落とし技を実演され、鎬を使って美しく玄妙な技を打ち出していました。
先生に指名され私がデモしましたが、うまくいきません。フランクな雰囲気がこの稽古会の良さ、失敗を続ける私を見て剣友は「彼は古刀型、先生は胴張り型を使っているからなのでは?」と発言しました。
先生は苦笑いしながら、いかに相手の剣を引きつけて鎬を使うことが大切であることを説かれていました。私はというと、竹刀の型をちゃんと見ている人がいるんだなあと感心しつつ、久しぶりに胴張り型を持ってみたい欲求が生まれました。
「先入観は悪」今日は古刀型、胴張り型、実践型?、普及型を等しく、長い時間握りました。
ただ、胴張り型…何度持っても右手のコネ打ちしかイメージできなくて断念、結果的にこれまでの古刀型に落ちつきました。また、古刀型は関東型とも言われているので、数も少ない印象を受けました。気のせいかな?
新型コロナ感染拡大が再び広がってきたことは心配ですが、竹刀も新調したので、また今年も僅かな機会を大切にしながら稽古に励みたいと思います。
振り返り(54〜57回目) [剣道]
今年の稽古、前半は左ふくらはぎの肉離れのリハビリを念頭に置き、徐々に内容を積めてきましたが、違和感はなかなか拭えませんでした。初夏まで上席に掛かる体力、気力の回復がないまま、福岡へ赴任しました。
福岡ではご縁に恵まれ稽古に参加することができるようになりましたが、新型コロナ感染拡大により稽古場所は9月一杯閉鎖。1人稽古のためにスタンドミラーを購入し、夏場は地味に木刀による素振りと剣道形を続けました。
10月より、週1回ペースの稽古に戻りましたが、少ない機会や刺激のある環境に気分が高揚していたのかもしれません。気がついたら八段の先生を含めた上席の先生方にガンガン掛かっていました。負傷から1年が経過して傷が癒えた時期だったかもしれませんが、もしかしたら「病は気から」だったのかもしれません。
また、この頃から九州各地に訪れる機会にも恵まれました。特に屋久島は「次回はプライベートで」との思いを強くしました。
12月25日には怪我もなく無事に稽古納めができ、27日に一時帰京
単身生活では家族の存在や食生活などのありがたさが身に染みました。年明けまではしばらく充電です。
皆さまも良いお年をお迎えください。
福岡ではご縁に恵まれ稽古に参加することができるようになりましたが、新型コロナ感染拡大により稽古場所は9月一杯閉鎖。1人稽古のためにスタンドミラーを購入し、夏場は地味に木刀による素振りと剣道形を続けました。
10月より、週1回ペースの稽古に戻りましたが、少ない機会や刺激のある環境に気分が高揚していたのかもしれません。気がついたら八段の先生を含めた上席の先生方にガンガン掛かっていました。負傷から1年が経過して傷が癒えた時期だったかもしれませんが、もしかしたら「病は気から」だったのかもしれません。
また、この頃から九州各地に訪れる機会にも恵まれました。特に屋久島は「次回はプライベートで」との思いを強くしました。
12月25日には怪我もなく無事に稽古納めができ、27日に一時帰京
単身生活では家族の存在や食生活などのありがたさが身に染みました。年明けまではしばらく充電です。
皆さまも良いお年をお迎えください。
違い(51〜53回目) [剣道]
「先生は、どちらで稽古されていたのですか?」
「夏に転勤で福岡に来るまでは東京で稽古していました。」
「あー」と言う女性剣士の言葉に「どうかしましたか?」と尋ねると「だから雰囲気というか剣風が違うんだ!」と頷かれました。
やはり違うのですね。それは、私も感じます。
なんて言えば良いのでしょうか、感覚的には、佐賀出身だった高校の恩師の剣道に似ていて、懐かしさ以上に恐怖を感じます。
相手が誰であろうと崩れずに面を打ち抜く技量を求めて八段先生にかかりますが、記憶、体験とは正直なもので恐怖と圧を感じ、当然、簡単ではありません。
打たれてもいい、左手をしっかり上げて打ち込めているか、肚を作る稽古を目指します。
毎週、進歩は感じられずに、最近のテンションは低空飛行でしたが、「稽古をお願いしても良いですか?」と声をかけてくれた女性剣士に救われた気持ちとなりました。
「夏に転勤で福岡に来るまでは東京で稽古していました。」
「あー」と言う女性剣士の言葉に「どうかしましたか?」と尋ねると「だから雰囲気というか剣風が違うんだ!」と頷かれました。
やはり違うのですね。それは、私も感じます。
なんて言えば良いのでしょうか、感覚的には、佐賀出身だった高校の恩師の剣道に似ていて、懐かしさ以上に恐怖を感じます。
相手が誰であろうと崩れずに面を打ち抜く技量を求めて八段先生にかかりますが、記憶、体験とは正直なもので恐怖と圧を感じ、当然、簡単ではありません。
打たれてもいい、左手をしっかり上げて打ち込めているか、肚を作る稽古を目指します。
毎週、進歩は感じられずに、最近のテンションは低空飛行でしたが、「稽古をお願いしても良いですか?」と声をかけてくれた女性剣士に救われた気持ちとなりました。
あれから(47〜50回目) [剣道]
福岡に来てから4か月。週1回ペースですが稽古を続けています。
偶然なのですが稽古場所は宿舎の前にあり、剣道着に着替えて、歩いて稽古場所に行ける好立地
これに加え、八段の先生も稽古に参加していただけるなど、稽古環境、巡り合わせに感謝するしかありません。
この好条件をいかに地力に変換できるのかが課題ですね。
本日は2週間ぶりの稽古。3名の先生に掛かりましたが、やや右手の力が作用したことは反省しなければなりません。
左脹脛の肉離れを起こしてからも1年1か月が経過
サポーターは手放せませんが、八段の先生方との稽古でも左脹脛を怪我したことも忘れ集中して取り組めたことは収穫でした。
今日は良く眠れそうです。
偶然なのですが稽古場所は宿舎の前にあり、剣道着に着替えて、歩いて稽古場所に行ける好立地
これに加え、八段の先生も稽古に参加していただけるなど、稽古環境、巡り合わせに感謝するしかありません。
この好条件をいかに地力に変換できるのかが課題ですね。
本日は2週間ぶりの稽古。3名の先生に掛かりましたが、やや右手の力が作用したことは反省しなければなりません。
左脹脛の肉離れを起こしてからも1年1か月が経過
サポーターは手放せませんが、八段の先生方との稽古でも左脹脛を怪我したことも忘れ集中して取り組めたことは収穫でした。
今日は良く眠れそうです。
基本稽古(44〜46回目) [剣道]
転勤してから2か月半が経過した時点でワクチン接種を完了しPCRも陰性なので、9月の連休に帰省しました。敬老の日、お彼岸のタイミングで両親、家族共に元気であることを直接確認でき、また、栄養や英気を養えたことは有意義でした。
帰省中に地元の稽古にも参加。緊急事態制限の中で東京の稽古環境は恵まれています。
今となっては1時間の基本稽古は貴重な機会。左手を口元までしっかり上げ、脚と肩で打つことに気を留めながら、丁寧に基本打ちをこなしました。
緊急事態宣言が解除となり、福岡でも10月から稽古が再開となりました。ここでの稽古は3回目。出席されている先生方の全容を完全に把握しきっていない中、お名前もよく確認しないまま上席の先生に並びました。
下がらずに圧をかけて起こりを捉えたいと打突を繰り出しますが、先生の打突は惚れ惚れするような綺麗さ鋭さ速さを備え、全く当てさせてもらえません。
立ち合っているうちに、ようやく気付きました。先生は八段戦や東西対抗などYouTubeでよく見る方だということを…
「相当基本稽古してるでしょう?良い剣道ですね。」「この稽古を続けてください。」
お世辞が半分以上だとは思いますが、稽古後に先生からのお話を聞き、「基本稽古を続けているか否かは見る人が見ればわかるものなんだなあ」と驚きました。
体格に恵まれず、戦績もない自分が「これしかない」と、地元の師範の御指導の下で続けてきた稽古の方向性
遠く離れたところでも「間違ってはいない」と改めて確認でき、勇気づけられました。
帰省中に地元の稽古にも参加。緊急事態制限の中で東京の稽古環境は恵まれています。
今となっては1時間の基本稽古は貴重な機会。左手を口元までしっかり上げ、脚と肩で打つことに気を留めながら、丁寧に基本打ちをこなしました。
緊急事態宣言が解除となり、福岡でも10月から稽古が再開となりました。ここでの稽古は3回目。出席されている先生方の全容を完全に把握しきっていない中、お名前もよく確認しないまま上席の先生に並びました。
下がらずに圧をかけて起こりを捉えたいと打突を繰り出しますが、先生の打突は惚れ惚れするような綺麗さ鋭さ速さを備え、全く当てさせてもらえません。
立ち合っているうちに、ようやく気付きました。先生は八段戦や東西対抗などYouTubeでよく見る方だということを…
「相当基本稽古してるでしょう?良い剣道ですね。」「この稽古を続けてください。」
お世辞が半分以上だとは思いますが、稽古後に先生からのお話を聞き、「基本稽古を続けているか否かは見る人が見ればわかるものなんだなあ」と驚きました。
体格に恵まれず、戦績もない自分が「これしかない」と、地元の師範の御指導の下で続けてきた稽古の方向性
遠く離れたところでも「間違ってはいない」と改めて確認でき、勇気づけられました。