SSブログ

年賀状 [その他]

小学生の時、年末になると両親がせっせと木版画を彫り上げ年賀状を作っている姿を見て、特に意味も考えずに、版画を彫っては年賀状を出していました。

大学生になると、小学校、中学、高校の恩師、友人と会う回数も減ってきたので、観光した時や大物を釣り上げた時の自身のスナップ写真を年賀状にして、近況を知らせていました。

社会人になっても出していますが、正直言うと、途中で、何故、年賀状をこれほどまでに出さなければならないのかと、ちょっと、考えた時期があります。
その時期は、仕事において、まだ、ペイペイながら野心的でもあり、自分の能力を磨いて、自分の力で仕事の成果を出していこうと力んでいた時期と重なります。

年賀状を出しても返してこない人や、単に同じ部署の目上の人程度であれば、出さなくても良いのでは、と勝手に目盛りの狂った物差しで送り先を取捨選択し、年賀状も、特に凝ることもなく、あっさりした物ですましていたこともありました。

今、思い返すと、自分自身のことで精一杯だったのでしょうが、本当に恥ずかしい時期だったと思います。

40前になって、職場でも中間的なポジションとなり、世の中、持ちつ持たれつ、頼り頼られでないとうまく回らないものだなあ、と感じるようになってからですが、「世話になった人には、新年の挨拶をする」との基本に返り、心から新年の挨拶をしたいと思う方々へ、再び、木版画を彫り、年賀状を送り始めました。

このように考えるようになってからは、毎年1回の年賀状のやりとりは、新鮮かつ楽しみなものとなり、年賀状をくださった皆様の優しさにふれ、想像力を高め、敬意を感じることのできる良い機会となっています。

今年の年賀状を作っている中で、2名の気になる人がいました。
その2名からは、昨年、年賀状が届きませんでした。
それでも、今年も、心から新年の挨拶をしたいと思う方々であった。

6日に一通の年賀状が届きました。
病気のため、一昨年の10月から休職して闘病生活に入っていた女性の同僚、気になる1名からのものでした。
回復に向かっており、元気そうな文章、お見舞いもかなわず、様子をうかがうことができなかったことから、ホッとしました。
年賀状を見て涙が出たのは初めての経験でした。

もう1人の方は、沖縄の勤務時代に大変お世話になった元同僚。同僚といっても私より15才年上でもうすぐ定年。この人がいなかったら、内地から若くして転勤してきた私は、地元のみんなと調和して仕事ができなかったであろう。その人と、毎日のように、沖縄の場末のスナックで飲み続け、そのまま、出勤みたいな日もあり、1年間ではありましたが苦楽を共有した戦友でした。

その人からは年賀状が来ませんでした。
7日に北谷の海岸で海難事故に遭って、亡くなられてしまいました。

沖縄から連絡を受け、2日連続、違う感情で涙を流しました。
ご冥福をお祈りします。

思いつくままに書き、まとまりのない文章ですいません。
今年もよろしくお願いします。
IMG_00021.JPG
nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 7

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0